海の京都

和の源流をめぐる旅

その一 天橋立・宮津

砂洲の一本道へと向かう大天橋。手前には文殊地区と天橋立を結ぶ廻転橋がある。天橋立は日本三景の一つ。「丹後風土記」にはイザナギノミコトが天に通うため梯子を作って立てた「天の橋立」が、寝ている間に倒れ伏した、記されている。

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その二 伊根

伊根湾は周辺約5㎞、それを取り囲むように立ち並ぶ舟屋は、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。背後の斜面にある山林も管理されていて、木を一本切るのにも申請が必要とか。日出、高梨、平田、立石、耳鼻、亀山など九地区から構成。現在は230軒の舟屋、130軒の土蔵などが軒を連ね、一番古いものでは江戸時代後期のものを見る事ができる。

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その三 京丹後

京都市内から車で2時間30分。京丹後は京都府の最北端に位置する。大陸を望む開かれた海のおかげで日本の表玄関として東アジア圏との交易の中心にあった。人、文化の交流だけでなく、鉄や水晶などを加工する技術にも優れ、当時の先進国として一大王国を形成した。日本海沿岸にある巨大な丹後三大古墳(蛭子山、網野銚子山、神明山)を見ると、当時の繁栄と豊かさが想像できる。

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その四 福知山

京都府の北部に位置する福知山は、豊富な鮎の漁場としても知られる由良川流域の福知山盆地に開けた街だ。市内に縄文時代から点在する遺跡などから、縄文時代から、この地域には人々の営みがあったという。出雲、北近畿などへの交通の要所だったことで、文化も栄えた。明治末期、大阪や京都への鉄道が開通すると、北近畿の交通の拠点としてさらなる発展を遂げた。国鉄の福知山鉄道管理局(現JR西日本福知山支社)が置かれ「鉄道のまち」として知られる。

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その五 舞鶴

国の重要港湾に指定されている舞鶴港。湾の入り口にあたる浦入には浦入遺跡があり、そこで日本最古級(約5300年前)の縄文丸木舟が発見された。このことは舞鶴港が、太古より「港」として地域や時の権力者に 大切にされていたことを意味する。それだけ舞鶴という街がもつ歴史は、深い。海と山を望む風光明媚な場所。海沿いには鄙びた漁村があり、ここで、漁業や魚の加工業などが古くから行われた。山側には農地が開き、豊かな植生や古墳が多く点在する。

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その六 綾部

綾部は京都府の北部に位置している。昔ながらの田園風景や美しい里山が今も息づく。遺跡も点在し、山深い中にも太古から人々の営みがあった。悠久の時間とともに綾部に寄り添ってきた由良川はゆったりと日本海に流れ込み、文化や歴史を育んだ。地理的にこの地は日本海側地域で、丹波国に属していたという。優れた機織り技術を持つ漢氏(あやし)と秦氏(はたし)が住み着き、朝廷に属する部曲として漢部(あやべ)となり、それが地名の由来となった。糸にまつわる物語は以後、「グンゼ」が受け継ぎ、街の発展に大きく寄与した。そのストーリーは、現在もなお紡がれている。

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その七 与謝野

丹後半島の付け根に位置する与謝野町。鬼伝説の残る大江山連峰と江笠山に抱かれ、加悦谷平野を南北に流れる野田川は、日本三景の一つである「天橋立」の内海となる阿蘇海の源流。肥沃な扇状地と豊かな水源に恵まれ、古より稲作や織物業が盛んに行われてきた。一帯には、日本海沿岸地域三大古墳の一つ蛭子山古墳や作山古墳など、大きな古墳が数多く存在し、いくつかの重なった条件から推察すると、丹後王国の強大な権力の中心地だったかもしれない…という。そんなロマンと可能性が秘めている場所だ。また、古来より、この丹後地方では織物業が営まれ、古くは丹後国竹野郡から献上された「あしぎぬ」が、正倉院に残されている。そして、高級絹織物の丹後ちりめんは、基幹産業としてこの地域を支え発展させ、今もなお、機織りの音は途絶えることがない。

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