海の京都

和の源流をめぐる旅

その三 京丹後

京都市内から車で2時間30分。京丹後は京都府の最北端に位置する。

大陸を望む開かれた海のおかげで日本の表玄関として東アジア圏との交易の中心にあった。

人、文化の交流だけでなく、鉄や水晶などを加工する技術にも優れ、当時の先進国として一大王国を形成した。

日本海沿岸にある巨大な丹後三大古墳(蛭子山、網野銚子山、神明山)を見ると、当時の繁栄と豊かさが想像できる。

京丹後コンセプトツアー

古の原風景を求めて町を歩く

久美浜を中心に、この地域で古より紡がれてきた歴史を巡る旅へ。

それがこのコンセプトツアーの目的だ。

太陽祭祀の跡だったとされる磐座、かぶと山と呼ばれる神山…4000年前、北極星を最高神として星と太陽信仰による祭祀が執り行われていたという。

久美浜湾を取り囲むように海、山に点在する神秘的な空間は、人々と自然の密接なつながりを物語っている。

町を歩きながら、今も残るその痕跡を辿る旅へと出かけてみよう。

日本海航路の要所として栄えた久美浜一帯は、江戸時代、代官屋敷を中心とした町並みが築かれていた。久美浜代官所の管轄は、丹後・但馬の2カ国で7万石。明治元年、廃藩置県の際には久美浜縣庁が置かれ、独立した自治を形成していた。今もなおこのエリアには、京都と兵庫の文化が入り混じっているようだ。そこに太古からの大陸の文化も加わってか…京丹後の中でも、一種独特な空気感を肌で感じることができる。現在の京都丹後鉄道・久美浜駅は当時の県庁を模したものだ。旅の始まりは、まずこの駅舎から。

ツアーガイドの今田博さんに導かれ神谷太刀宮へ。崇神天皇の時、大国主命を迎え祀ったという。神社には太刀が奉納されているが、その太刀は国見の太刀といい、国見が訛って久美浜の久美になったという説も。そんな話に耳を傾けながら、かぶと山を右手に、磐座と向き合う。この巨石は、2万5千年前に、地上から露出したと伝えられている。それだけでも不思議な話だが、南北と東西に入っている石の割れ目は、北向きの延長線上に北極星があり、東西は夏至の日の出、冬至の日没の光が入る方向に開いている。ここで天体の動きを観察し、収穫、魚の取れる時期、風災害の余地などを知ろうとしたようだ。また、大地の波動や宇宙をみぢかに感じるためのスピリチュアルな心の拠り所でもあった。

久美浜の町をぶらついてみる。肥沃で住みやすく、豊かな恵みのあるこの地は、古代から現代まで、ほぼ同じ場所に町づくりが展開されているのが興味深い。目ぬき通りはレトロな街並み。城下町の町割りで「ウナギの寝床」のような狭い間口の町家、木造三階建の元料理旅館浜茶屋など重厚でクラシックな建築群が続く。途中、創業明治12年の綿徳商店に立ち寄り久美浜名物の鯛せんべいを試食。元漁師だった先代が考案したというせんべいは、鯛やトビウオ、すずきなどをミンチにして独自の製法で焼いたもの。濃厚な磯の味わいが美味だ。

稲葉本家初代は織田信長の家臣団、美濃三人衆の一人、稲葉一鉄の末裔という。約400年前にこの地に移り住み、糀屋を生業とし、千石船を使った日本海沿岸交易で金財をなした。主屋、奥座敷、卯建をあげた長屋門、土蔵からなる稲葉家住宅。主屋は欅の柱を使用し、松の太い梁を井桁状に組み上げた豪華で堅牢な作り。間と居間を一体化させ吹き抜けにした空間構成は、豊岡、出石など但馬地方の伝統的建築に多く見られるそうだ。建造物の解説を聞きながら、ランチはこちらで。 郷土料理のばら寿司とぼたもちをいただく!

稲葉本家を後に、遊覧船に乗り込み小天橋へ向かう。遊覧船に揺られること30分。久美浜湾に浮かんでいるように見える家々の建並が見えてきた。海から湾までは、最大でもわずか300m。日本海と久美浜にはさまれた極小の砂嘴に人々の暮らしがある小天橋は、日本でも稀有な場所だ。湾に張り出す桟橋と居並ぶ漁船の景観も美しい。日本の昔ながらの漁村の風景がここにある。

最後に、夕日ケ浦にある丹後ちりめんの機屋を訪ねた。丹後で織られる絹織物の歴史は古く、正倉院御物にも残されている。織物業の最盛期は昭和40年代、ガチャっと一織りすると万儲かるとことから、その機織り景気をガチャマンと言ったそうだ。昔はその機織りの音が、赤ちゃんの子守歌がわりだったという。夕日ケ浦の海岸は別名、常世の浜と呼ばれ、浜を眺め建つ志布比神社には、海の神と言われる塩堆翁(塩堆神)が祀られている。塩堆神を案内人に新羅の王子が日鏡などの神宝を携え、上陸したのはこの地だったという。

夕日ケ浦に日が沈む頃、久美浜~夕日ケ浦をめぐる旅も終わりを迎える。ここで出会った人々の笑顔と壮大な歴史のロマンと共に歩んできた土地の息吹を感じながら、日の暮れる浜辺を眺めながら感慨に浸るのも、またこの旅の醍醐味の一つなのだ。