海の京都

和の源流をめぐる旅

その七 与謝野

藤を専業で織る唯一の機屋『芙留庵』

丹後半島の付け根に位置する与謝野町。
鬼伝説の残る大江山連峰と江笠山に抱かれ、加悦谷平野を南北に流れる野田川は、
日本三景の一つである「天橋立」の内海となる阿蘇海の源流。
肥沃な扇状地と豊かな水源に恵まれ、古より稲作や織物業が盛んに行われてきた。
一帯には、日本海沿岸地域三大古墳の一つ蛭子山古墳や作山古墳など、
大きな古墳が数多く存在し、いくつかの重なった条件から推察すると、
丹後王国の強大な権力の中心地だったかもしれない…という。
そんなロマンと可能性が秘めている場所だ。
また、古来より、この丹後地方では織物業が営まれ、
古くは丹後国竹野郡から献上された「あしぎぬ」が、正倉院に残されている。
そして、高級絹織物の丹後ちりめんは、基幹産業としてこの地域を支え発展させ、
今もなお、機織りの音は途絶えることがない。

絹のある道、ちりめん街道

今も聞こえてくる機のひびき

丹後地方に伝わる絹の歴史は古く、聖武天皇に献上した絹織物が確認できる。古くからこの地では、絹織物が織られていたが、江戸時代に、加悦谷地方の手米屋小右衛門、山本屋佐兵衛らが京都の西陣から技術を持ち帰り、それを元に作られたのがこの地での丹後ちりめんの始まり。峰山藩、宮津藩の保護助長の歴史を経て、地場産業として根づいてきた。また、適度な湿気、扇状地がもたらす豊富な水…気候風土も発展に欠かせなかった。冬は季節風を伴う厳しい寒さ。特に「うらにし」という独特の天気は、晩秋から初冬にかけて、突然雨が降ってきたりするようなことが多い。「弁当忘れても、傘忘れるな」というのは、この地域のキーワードだ。

与謝野町加悦地区の旧街道は「ちりめん街道」と呼ばれる。街道沿いには、丹後ちりめんの商家や工場、銀行などが建並び、大正時代には加悦鉄道も敷かれ、一帯は隆盛を極めた。「旧加悦町役場庁舎」(与謝野町観光協会)、生糸ちりめん商の「旧尾藤家住宅」、「旧加悦鉄道加悦駅舎」(加悦鉄道資料館)など、今も当時のままの建物が多く残されている。気ままに歩き、昔ながらの痕跡をたどりながらの街めぐりが、楽しい。「約120棟が、江戸、明治、大正、昭和初期のものなのですよ」と与謝野町観光協会語りべの会の青木順一さん。そんな説明を聞きながら、時折、聞こえる機織りの音に、耳を傾けてみる。洋風の建築や意匠、日本家屋のディテール。和とモダンのミックスが見ていて美しく、飽きることはない。

1
2
3
4
5

江戸時代に建てられた「旧尾藤家住宅」。尾藤家は幕末の動乱期に、生糸ちりめん商として栄え、地域の発展に大きく寄与した。後に11代目が、丹後大震災で被災した地域の復興を手がけ、道路や鉄道などのインフラを整備した。1.母屋や奥座敷からなる和風建築と増築された洋館で構成される和洋折衷の住宅(京都府指定有形文化財)。2.生糸ちりめん商らしく、時代ものの着物も展示されている。3.紋紙を利用したしおりは、入館者は持ち帰ることが可能。⒋美しいステンドグラスは特注品。洋館の室内装飾は、贅をつくした注文品だ。5.但馬国久斗村から75両で買い取った母屋を、船で部材を運び、建築した。また、奥座敷や土蔵も移築されたもの。

6
7
8

6.丹後ちりめんの機織りは、現在も至るところで行われている。見学希望は与謝野町観光協会に相談してみて。7.この日はちょうど機織り機のメンテナンスが行われていた。需要減から織機は生産中止になっているものも多く、メンテナンスのできる人、交換する部品なども少なくなってきている。8.ちりめん街道を知り尽くす与謝野町観光協会語りべの青木順一さん。「後ろに見えるのが、ちりめんの始祖「西山工場」。今は操業はしていませんが、丹後に現存する唯一の明治時代のちりめん工場で、今もなお使用されています」と話す。

10
9
11

9.与謝野町の観光地域マネージャーも務める「コウジュササキ」の佐々木貴昭さん。街道沿いの、前蔵を持つ家で商売を営む。大正時代に創業した丹後ちりめんの家に育ち、現在は、その技術を応用し、独自に開発したシルク糸でニットを編み、和装ではなく、洋服を展開する。原糸を仕入れ、染めた糸を独自に組み合わせて、撚りをかけた糸が特徴だ。10.美しい色合いと、柔らかい風合いのニット。裏手の工場にはカラフルな色の糸が並ぶ。11.現在、力を入れているのが男ものの帯。ストレッチが効いて、体になじみやすく、締めやすい。

12
13
14

12.街道沿いの家屋の屋根には、桃がついていることも。鬼門の位置についているとか。探してみたい。13.お地蔵さんはいたるところに。地元の子供たちが、地蔵盆にあわせお化粧をするそう。このお地蔵さんは、ウルトラマン。14.ちりめん街道めぐりの出発はこの「旧加悦町役場庁舎」から。丹後大震災の後に建てられ、70年あまり町役場として使われていた木造の洋館。玄関に車寄せがあり、スパニッシュ様式の左右対称の造形が存在感ある建築物だ。

与謝野町は、古から脈打つ悠久の時の流れとともに、そしてまた丹後ちりめんとも寄り添ってきた。大江山を望む小高い丘には蛭子山古墳と作山古墳を1600年前の姿に復元整備した「与謝野町立古墳公園」がある。併設するはにわ資料館では、町内の古墳から出土した埴輪、土器、装飾品などを見ることができる。太古の昔、ここには確実に文明があったようだ。埴輪列を巡らせた円墳の上からは、与謝野町のどかで穏やかな光景が広がる。千年前もこのような光景だったのだろうか?そんな想像しながら旅をするのも、また楽しいものだ。