人と食を巡る旅vol.1 『ひとやすみ』丹後で育て醸す酒
まちと文化
はじめまして、植田眞由美です。生業は、各地の「人」と「食材」と出会い、そのご縁を、飲食店や企業と結びつけ、みんなで育む“たべること”のコミュニティを築くことです。拠点は東京、日本各地のご縁のある先へと赴いての活動で、旅が私の生活の大きな部分を占めています。ここ数年、希少で美味しい食材の宝庫である「海の京都」に魅せられ、このエリアに足を運ぶようになりました。
初回の今回は、舟屋の酒蔵向井酒造と、上世屋に移住し就農したチャントセヤファームが手を携えた、地域の食を豊かに、より美味しくしたいと願い生まれたお酒のお話です。
『特別純米生原酒 生もと仕込み 世屋のひとやすみ』
ほわっと口の中を温め、すっと吸い込まれていくような飲み心地。心も体もいつの間にか緩められ、解放されるようで、食事もどんどん楽しくなります。稲刈り中のひとときを切り取ったようなラベルが印象的な、向井酒造のお酒です。
京都・丹後の山中にひっそりと息づく山村集落、上世屋。
ここでは『昔ながら』を大切にする村人により、
小さな棚田で山野の草木や多様な生き物、海から谷を抜ける風など、自然の力を人がうまく生かし切る農業が営まれてきました。
と、裏ラベルには記されています。案内していただき訪れた上世屋は、まさにこの文章さながらの場所でした。
原料米は移住組「チャントセヤファーム」の育てる米
平成26年に移住し就農したチャントセヤファームの小山ご夫妻。2人が育てたコシヒカリが向井酒造が醸す『特別純米生原酒 生もと仕込み 世屋のひとやすみ』の原料米です。
ご夫妻は、上世屋集落の昔ながらの棚田で村びとに学び、稲木干しなど地域の流儀も大切に農業を営んでいます。屋号からは、愛生さんと有美恵さんおふたりの、移住前から上世屋に対し抱いてきた想いと、この集落に根差し生きていく決心とが伝わるようです。
日本の里100選に名を連ねるのも納得の、昔ながらの里山。便利な重機などは稼働させづらい不便さを、小山ご夫妻は、人の縁が続く要素として受け止め、慈しんでいます。この地に根ざす人々から学ぶ日々の感覚を「自分自身もこの土地に土着していくような根太い幸福感」と彼らのホームページに綴っています。
国定公園にも定められる一帯からの自然の恵みがあればこそ、生物の多様性も彼らの大切な財産です。それをリスペクトし、米作りは農法には拘らず。農薬や化学肥料は使いません。
ご夫婦と彼らをサポートする人たちが丹精込めた実りを、誰に受け取ってもらうか。チャントセヤファームのお二人は、新たなパートナー的消費者を求めていたそうです。そして縁結びの神がいたのでしょう、向井酒造とのご縁は絶好のタイミングで生まれることとなりました。
お二人へのインタビューは、稲木干しと並行して。有美恵さんから愛生さんへ、両手で掴むにちょうどの稲の束がリズム良く放り投げられていく。軽トラの荷台の山は、またたく間に棚田にそびえる稲の壁へと姿を変えていました。あたりには刈り取られて間もない稲の香りが満ちていました。
1754年創業 向井酒造
蔵から海に飛び込める(!)向井酒造は、海の京都の伊根にて、1754年創業しました。現在は、姉久仁子さんが杜氏、弟崇仁さんは社長兼蔵人です。長く彼らと共に酒造りに携わる蔵人と共に、地域に永く根ざしてきました。
酒造りは、約450年前に生まれた天然の微生物と共に醸す『生もと造り』や『山廃仕込み』を軸とし、地元の食材と調和しつつ、飲み飽きしない素朴な純米酒造りを続けています。
『伊根満開』誕生
伊根で育つ古代米を醸した赤い酒『伊根満開』は、蔵の名を広く轟かせたお酒です。2023年に京都エースホテルで10週間イベントを開催し、日本国内のみならず世界の食通を唸らせたコペンハーゲンのレストラン「ノーマ(noma)」も地元で採用するなど、海外でも高い認知度を誇ります。国内でも、料理界のオリンピックともいわれる『ボキューズ・ドール国際料理コンクール2027』日本代表を勝ち取ったHOTEL THE MITSUI KYOTO『都季(TOKI)』料理長 浅野哲也さんも、この酒と酒粕を頼りにしています。
東京農大在学中、久仁子さんは、酒造りの権威、竹田正久教授に師事。醸造を学びながら、未来を生き抜く酒造りを志しました。これと並行し、竹田教授と久仁子さんの父である向井義昶(よしひさ)さん、そして伊根の農家の間で、古代米栽培の準備が進められました。
久仁子さんが卒業し蔵に戻った時には、地元産古代米を原料とした酒造りが始まり、『伊根満開』が生まれました。携わる人々の伊根への祈りを宿したこのお酒は、国内外で支持を集め、好評を博しました。「けれど、経験不足で自信がなかった」と杜氏久仁子さんはいいます。
チャレンジ始動!もっと地元とつながる酒造りを目指し
自分とも戦うような日々を重ねるうち、久仁子さんは、経験不足こそ実は強みにつながっていたと、尊敬する先輩に気付かされる好機に恵まれます。「常識や先入観のなさのおかげで、固定概念に縛られることなく、新たな酒造りに挑むことができたのでは」と指摘されたのです。
これを機に、気持ちが切り替り、さらなるチャレンジに挑む決心がついたそうです。
近年、地域との深い連携や、蔵人の思いを反映した取り組みが、各地の酒蔵で積極的に行われるようになりました。向井酒造も、全量純米酒蔵への転換、地域の生産者との連携の拡大など進化を続けます。地域の人たちに愛される酒でありたいからこそ、より体に優しい酒を目指そう、丹後のテロワールを皆で楽しめる酒を造ろうと励まれたそうです。チャントセヤファームの米が調達できたことがさらなる後押しともなりました。
さらに、商品として成立させるための社長の崇仁さんのサポートを味方にし、新たな酒造りが始まりました。
丹後で育て醸す酒『ひとやすみ』生まれる
コシヒカリを原料にした麹作りなど試行錯誤を重ね、丹後の風土に育まれ、醸されたお酒『特別純米生原酒 生もと仕込み 世屋のひとやすみ』が誕生しました。
「すっと染み込んで、ほんま地元のご飯ともよう合う。飲み疲れせん酒になりました。名前は、まさにこのイメージだ!と、好きな版画作品にちなんでつけたんです」。と久仁子さん。
その作品名は「ひとやすみ」。豊かな実りをありがたくいただく秋の日。皆総出で作業が進む中、黄金の稲を背に腰を下ろししばし辺りを眺めながらの一服。自分たちを育んでくれた場所に昔からある素朴であたたかな世界を切り取ったかのような、表ラベルにもなっている村上暁人(ぎょうじん)さんの作品です。
生まれた酒は、地元はじめ、向井酒造を愛するたくさんの人を喜ばせました。
原料米の育ての親小山さんも、初めて味わった時のことを、目を細め嬉しそうに語ってくれました。
「綺麗だと思いました。体にスッと吸い込まれていくようでとても嬉しかったし、誇らしかった」
それだけでなく、パートナー的消費者を得たことで米作りへの新たな責任感が生まれ、目指すところも定まったと言います。
わたしにとっての「海の京都」
年々訪問回数が増えるのに、いつのときも心あたたかな出会いに恵まれます。行けば行くほど魅力がどんどん増して、旅の終わりにはいつも「また帰ってくるね」でさよならします。惹かれているからですね。
なぜ、私は海の京都に惹かれるのか。それは、この地域がとても豊かだと思うからです。私が感じる豊かさは、一次産業とそれを受ける二次産業の近さとそれに携わるひとたちから生まれています。
自らの暮らしをつなぐ食が、すぐそばで根ざす地元住人たちの丹精に支えられていること。これが当たり前にある場所が今、どれほど貴重なのかを生業を通し直視する毎日。海の京都はこれからますます豊かになる地域と期待しています。