カン、カン―。真っ赤に熱した鉄の塊を金づちでたたき、日本刀を生み出す。京都府の北端に位置する丹後地域。刀剣にまつわる伝説や歴史があるこの地に、若手の刀鍛冶3人が工房を構え、日本刀作りを始めた。彼らが見据えるのは、伝統産業の未来。3人は「日本刀の業界を盛り上げ、伝統や文化を守りたい」と意気込む。
丹後で日本刀の未来をひらく
まちと文化
武器から美術品に
日本刀が誕生したのは平安時代。それまで、日本で作られる刀剣は大陸から伝わった「直刀」(反りのない刀)だったが、戦闘様式の変化とともに馬上での扱いやすさが求められ、反りのある日本刀となった。
以降、時代背景に合わせて改良が加えられる。例えば、実力主義の考えが広がった南北朝時代には、自身を誇示するため長大で豪壮なものになったが、世が安定した室町時代初期になると優美な形状が好まれた。
そして現代。日本刀は武器ではなく、美術品として扱われる。日本が世界に誇る伝統工芸の一つだが、価値が理解されづらい面があり需要は縮小傾向で、伝統を次代につなぐ刀鍛冶も減っている。
刀鍛冶3人の日本玄承社
丹後の工房は、いずれも刀鍛冶の黒本知輝さん(35)と山副公輔さん(32)、宮城朋幸さん(32)が2019年に設立した㈱日本玄承社のものだ。3人とも子どもの頃から刀作りの道を志し、同じ刀鍛冶の下で学んだ。
吉原義人さんに弟子入り
彼らの師匠は、東京を拠点とする吉原義人さん。20年に一度しかない伊勢神宮式年遷宮の御神宝太刀を3回も作り、作品の中にはメトロポリタン美術館とボストン美術館に所蔵されたものもある。日本を代表する刀鍛冶だ。
刀鍛冶になるには、文化庁の研修会を修了する必要がある。受講資格は、刀鍛冶の下で4年以上の経験を積むこと。専門学校などで技能や知識を学ぶ職業とは異なり、刀鍛冶を志す場合は弟子入りがスタートとなる。そのため、吉原さんの工房には入門希望者が集まるが、全てが受け入れられるわけではない。
黒本さんと山副さんは大阪出身で、先がどうなるかは分からなかったが、2人とも「この道しかない」と決意を固めて上京。工房に通ううち、弟子として仕事を任されるようになった。東京出身の宮城さんも大学在学中から工房に通い続け、卒業後に入門が実現。黒本さんは「覚悟が伝わったのでは」と振り返る。
修業を経て刀鍛冶に
3人が入門した時期は違ったが、それぞれが順次、修業を経て研修会を修了。刀鍛冶の道を歩み始める。ただし3人とも、自らの作品を作りながらも吉原さんが所有する茨城県八千代町の工房を借りる「半独立」という形だった。
兄弟弟子が同じ工房を拠点とする。自然と将来のことなどについて語り合うことが増え、低迷する日本刀の業界を盛り上げたいという思いが共通することが分かった。「刀鍛冶が1人で頑張っても理想の実現は難しい。力を合わせよう」。3人は意気投合し、東京で日本玄承社を設立した。
自社工房を検討
複数の刀鍛冶が集まって株式会社を立ち上げるケースは、全国的にも珍しいという。代表取締役には黒本さんが就き、当初は関東で自社工房の開設を検討したものの適した場所が見つからず、更に「刀作り」という特殊な事業内容であることから資金調達も思うように進まなかった。
候補地は京丹後
ところが、転機が訪れる。山副さんの祖父母が住んでいた空き家を使えることになった。ただ、その場所は京丹後市丹後町。3人が暮らしていた東京からは遠く、環境も大きく異なる。子どもの頃から慣れ親しんだ山副さんとは違い、黒本さんと宮城さんにとっては「全く知らない地域」だったが、工房の候補地となった。
刀剣の歴史や伝説
現地を訪れてみると、刀剣と縁深い地域であることが分かった。同市久美浜町では古墳時代の刀剣「金銅装双龍環頭大刀(こんどうそうそうりゅうかんとうたち)」が出土しており、同市弥栄町には古代の製鉄コンビナートとされる「遠處(えんじょ)遺跡」がある。
また同市丹後町の立岩や竹野神社には、聖徳太子の異母兄弟である麻呂子親王に関連した刀剣の伝説がある。運命的なものを感じた。
新天地に移住
新型コロナウイルスの感染拡大によって人々の生き方に変化が生じてきた時期だったので、「良いものを作れば、都会や田舎は関係なくやっていける」と思えた。更に地元住民からは「ぜひ来てほしい」と歓迎の声が上がり、理解を得られたことから同市に工房を構えることにした。
2021年、3人は家族とともに新天地となる同市に移住し、日本玄承社の本社も移転。府内のDMO(観光地域づくり法人)や金融機関でつくる「地域づくり京ファンド」からの投資を受け、22年1月に念願だった鍛冶場を備えた自社工房が完成した。
現代的な「令和の刀」を
ようやく事業が本格化する。構想にあるのは、今の時代に合った刀を作ることだ。時代の流れに応じて形状が変化してきた日本刀だが、現代は鎌倉時代のものを再現することが多い。伝統を守りながらも現代アートの要素を採り入れ、「令和の刀」を生み出したいという。
その一つに考えるのが、「京丹後」をテーマにした刀。刃文で海や山を表現するほか、外装には地元の伝統産業である丹後織物を使う考えだ。
積極的に情報発信
また、日本刀の需要を掘り起こすため、積極的に情報を発信する。自社で撮影や編集を行いYouTubeなどに投稿するほか、観光事業者などと連携して見学や体験の受け入れも計画する。
刀鍛冶の育成も
黒本さんは「色々な産業と手を組み、どんどん仕事をつくっていきたい」と意欲を見せており、事業が軌道に乗れば刀鍛冶の志望者を従業員として受け入れ、育成する仕組みをつくりたいという。
日本刀業界の未来は、丹後から開かれるかもしれない。